
ホラー映画やカルト映画の“引っかかる場面”を掘り下げていくこの企画、「世にも奇妙な映画のハナシ」。第1回は、スタンリー・キューブリック監督の名作『シャイニング』から、誰もが一度は目にしていながら、詳しく語られることの少ない“あのシーン”を取り上げてみたい。
映画『シャイニング』(1980)を観たことがある人なら、きっとあの“クマの着ぐるみの男”のシーンを覚えているだろう。終盤、ウェンディ(シェリー・デュヴァル)がホテルの廊下を逃げる途中、ふと開けた部屋の中で目にする奇妙な光景。クマの着ぐるみを着た男が、スーツ姿の男に性的行為をしているように見える――ほんの一瞬の場面だ。けれど、この数秒こそが、『シャイニング』最大の謎と言っても過言ではない。

なぜクマなのか。なぜあの場面だけが唐突に挿入されたのか。実はこのシーン、スティーヴン・キングの原作小説にも登場している。ただし、原作では“犬の着ぐるみ”だ。小説では、ホテルの元オーナー・ホレス・ダーウェントと彼の愛人ロジャーの話として描かれており、ダーウェントがロジャーに犬の格好をさせてパーティーで振る舞わせるという屈辱的な描写がある。つまり、原作ではホテルの堕落した過去を象徴する場面に過ぎなかった。
しかし、キューブリック監督はそこに新しい意味を持たせたと言われている。映画研究家のロブ・エイガーは、この“クマの男”が少年ダニーと父ジャックの関係を暗示しているのではないかと指摘している。彼の説では、映画全体に“クマ”が繰り返し登場するのは偶然ではない。ダニーのベッドの上にあるクマの絵、カウンセリング中に抱いているぬいぐるみ、ホテルのロビーに飾られたクマの毛皮。すべてが“クマ=ダニー”を示しているのではないかというのだ。
さらに注目すべきは、ジャックがロビーで読んでいる雑誌『プレイガール』。その表紙には、「なぜ親は子どもと寝るのか」という記事タイトルが印刷されている。こうした細かい演出を拾い上げると、あのクマのシーンが「父親による性的虐待の暗示」だというエイガーの説にも、妙な説得力が出てくる。
ダニーが「237号室」で“女に襲われた”と語る場面も、この理論では別の意味を持つ。彼が言う“女”は父親の暴力を変換したイメージであり、ジャック自身が同じ部屋で裸の老女と向き合うシーンは、彼が自分の罪と向き合う瞬間だという解釈だ。そしてウェンディがクマの男を目撃して絶叫するのは、息子に何が起きていたのかを理解した瞬間――そんな見方をすると、あの場面が急に重く、恐ろしく感じられてくる。

もちろん、これが唯一の答えではない。『シャイニング』は、観る人によっていくらでも意味が変わる映画だ。ある人は、ホテルの亡霊たちが生前の倒錯した行為を永遠に繰り返しているだけだと解釈する。別の人は、ホテルが先住民の墓地の上に建っているという設定から、あの場面を「支配と屈服」の象徴と読む。どの説にも共通しているのは、“キューブリックが意図的に答えを隠した”ということだ。
実際、撮影に参加した俳優ブライアン・V・タウンズも、意味を知らされないまま現場に立っていたという。彼は2019年のインタビューで「“少し下品な短いシーン”とだけ説明されていた」と語っている。犬の着ぐるみがクマに変更された理由も、現場では誰も知らなかったそうだ。完成した作品を観ても、彼自身「何を意味していたのか分からないままだった」と話している。キューブリックは意味を説明せず、観る者に想像させることで“恐怖”を作り上げたのだろう。
ちなみに、続編『ドクター・スリープ』(2019)には、この“クマの男”は登場しない。監督のマイク・フラナガンは、「彼を出すとトーンが壊れる」と語っている。フラナガンはさらに、「衣装の“開いたお尻のフラップ”を思い出させるだけで、観客が集中できなくなる」と冗談めかして語った。続編はダニーの心の傷を描く作品だが、フラナガンにとってあの“クマの幽霊”は、もう過去の象徴に過ぎなかったのかもしれない。
『シャイニング』には、このシーン以外にも数えきれない謎がある。血があふれるエレベーター、雪の迷路、最後に映る1921年の写真――どれも意味が断定できないまま、観客を迷わせ続けている。だが、それこそがこの映画の魅力だ。
あのクマの男が誰なのか、なぜあんな姿で現れたのか。答えはおそらく、キューブリックしか知らない。けれど、だからこそ観るたびに新しい解釈が生まれる。ドアの向こうで振り返るあの不気味な視線は、40年以上経った今も観客を見つめ返している。あなたは、あの瞬間に何を見たと思うだろうか。
